お・も・て・無・し

興味がなくお忘れの方も多いと思いますが、来年2020年には東京でオリンピックが開催されるようです。

僕らスポーツと無縁の庶民にとっては、百害あって一利なし・・いや、むしろ今後の東京と日本にとってマイナスにしかならない大イベントな訳ですが、国やメディアは目先の高揚感ばかり煽り、多くの人をその気にさせようと躍起です。

新国立競技場のコンペの白紙撤回からはじまり、エンブレムデザインの酷似、3兆円近い予算額の増大、コンパクトオリンピックの事実上の撤回など誘致が決まってからというもの、次々と出てくるボロ。

一旦は収まったように見えたIOC委員への収賄の疑惑も、先日、フランス検察当局がJOC竹田会長の刑事訴訟手続きを開始したという報道を受け、またまた怪しい裏の世界が垣間見えてきました。

一般人にはこういう裏の話というのは、普通は自然に秘匿されます。メディアもスポンサーあっての報道なので、体制に都合のいいところしか伝えないからです。
たまに暴露されるような事態があれば、情報ストックしてあるスポーツ選手やアイドルのスキャンダルをスケープゴートにして、国民の注意を反らすのが資本主義メディアの常套手段です。

スポーツそのものは、とても素晴らしいものです。
オリンピックも観戦して面白いものかも知れません。一生懸命にそれぞれの競技に打ち込む選手たちの姿には感動もしますし、応援もします。

しかし、昨今のオリンピックは、(前回の東京オリンピック)もそうだが、国やIOC、財界の思惑が強すぎて手放しでは応援できない。今やオリンピックも、時の権力者たちの、体のいいプロパガンダに成り下がっているのです。

僕は予てより、オリンピックは世界各地で行うよりも、ギリシャだけで開催するようにしたほうがいいと主張している。可能ならば聖地オリンピアでの開催が望ましい。その方が神聖だし、経済危機に立たされているギリシャの復興の力にもなるかもしれない。

健全な精神は健全な肉体に宿るというが、残念ながらオリンピックは健全な肉体に、寄生し、蝕む「裏の顔を持つ連中」が支配している。

そもそも、東京がオリンピック開催地に立候補した年は、2011年の東日本大震災からわずか半年後のことでした。長引くデフレで疲弊した日本を襲った悲劇と混乱の中、自民党内での有力者・森喜朗氏は息子・祐喜氏の薬物中毒死スキャンダルから国民の目を遠ざける話題作りのために、当時の石原都知事を半ば強引に説得し、立候補させたという風にもとらえることができる。

今でも森喜朗は、組織委員会の会長として鎮座しているが、相変わらずの天然ぷりはご承知の通り。サメの方がまだ頭がよさそうだ。それでも安倍晋三と麻生太郎という飼い犬に、命令して口出しできる権力はある。早い話、親の作り上げた権力を振りかざすだけのパワハラ老害じじいだということは、口にしないだけで誰もがそう感じている。

最も、犬はサメよりは、もう少し賢いので今の政治を邪魔されるよりは、オリンピック組織委員会という檻に閉じこめておけば、少しは満足して大人しくなるだろうという腹積もりなのかも知れない。

犬たちもはじめ、たかだか、3ヶ月程度のお祭りをして、今の日本が立ち直るなんて、本気で信じてはいるはずがない。リニア新幹線工事同様に、引き返せない状況まできて、バトンを渡されただけなのではないだろうか。
ただ、オリンピックは、彼らにとっても都合がいい隠れ蓑であるのは間違いがない。
お祭りだから、やる人も、見ている人も楽しいのは間違いない。一時的には、町も潤うだろう。集めた金で救われる人もいるかも知れない。浮かれ気分で現体制を養護する人も増えるだろう。

しかし、このどんちゃん騒ぎも含め、国のやることのツケの多くは将来の国民に増税として課せられる。一時の得られる利益よりも、今後、生きている間に負担させられる税金の方がはるかに大きいということが知られるのを誤魔化されているだけなのだ。

オリンピックに限らず、先日の統計不正の問題も含め、日本の政治は「おもて無し」の「裏ばかり」。
もっとも、こんな金と権力で育った、歪んだ2世ボンボンばかりの政治家集団を信じて疑わない国民も多いのだから、あきれるばかりなのだが。



2019-02-09 | Posted in RAKUGAKI ESSAYNo Comments » 

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