僕のデザイン。

無知の知。

僕が学生の頃は、まだデザインの勉強というと烏口やロットリング使い、レイアウトも切ったものをペーパーセメントで貼っていくという(今では)古風な授業だった。
研究室にMacintosh(たぶんMacintosh II)が置いた有ったのを見かけたことはあったが、当時は全く興味を惹かなかったのでスルーしたのを覚えている。
そもそも、専攻が絵本・イラストレーションという特殊なものだったので、どちらかと言えばデザインの勉強よりも絵本の勉強のほうが印象に強く残っている。成績はそんなに悪い方ではなかったが、これと言って秀でるものも無く、どの科目も無難にこなしていた。
そんな中途半端な学生時代に、絵本の授業を担当していた先生から何かのきっかけでこう言われた。
『矢幅は、器用貧乏にはなるぞ。』
ガツンときた一言である。
そこそこ絵も描けて、そこそこデザインもできる、写真も撮れば、立体造形もそこそこ形にはなる。
張り合う気持ちは、強かったが僕よりもうまい奴は沢山いた。
そう、手先だけ器用で才能が無かったのである。好奇心、アイデア、センス、記憶力、根性、集中力、そして行動力。
デザイナーという人間は、傍目にはいわゆる変人でなければ勤まらない。
そういう意味で、僕はあまりに凡人であるのだと思う。
円空如来像
円空如来像 東京国立博物館所蔵(出展ウィキペディア)

デザインのお手本。

実際に「デザインとはこういうものだ」と刷り込まれたのは、秋山孝事務所にアシスタントとして、勤務するようになってからである。
シンプルな線、アイデア、ビビットな色使い、メッセージ性、そしてそのインパクト。
秋山先生のデザインは、そのイラストレーションと共に、僕の中では『絶対的なお手本』となった。Macintosh(いまのMac)との出会いもこの頃だった。
事務所の先輩に、まだ芸大を出たばかりの宇治野宗輝氏(現代美術作家)が在籍しており、当時から頭も切れるすごい人物だったが、この方が推してMacintosh IIfxを事務所に導入したと記憶している。
それまでウラケイ一本引くのに、ロットリングのインクがはみ出ないように緊張していたのに、Macintoshなら点と点を指定するだけ。
あとはOKIのMicroLineが出力してくれる。
驚愕した。
もう、手先の器用さは要らなくなったと思った瞬間だった。
まずい。勉強しなくては。それからは、家賃1万7千円の6畳一間のアパートに当時60万もしたMacintosh IIsiを購入し、イラストレーターやフォトショップをトライアンドエラーでいじり倒した。
と同時に来たるべく「Macintoshでデザイン」という時代に興奮もしていた。
DTPの時代はあっという間に、主流となり、最初は文字の羅列でしかなかったWEBという分野にまで「デザイン」の領域が広がった。
Macintosh Ⅱsi<
Macintosh Ⅱsi(出展ローエンドマック:http://lowendmac.com/)

デザインは掃除だ。

その後、WEBデザインやイルミネーションのデザインにも関わることとなったが、「デザインのお手本」は変わらなかった。
自分が良いと思うデザインは、「アイデアがあり、シンプルで無駄のないもの」という考えが絶対的に占めている。

この考えは、例えば俳句であったり、円空の「円空仏」、禅における「円相図」、のように、非常に日本的な思想ではないかと思う。

秋山先生の言葉で、今でも印象に残っている言葉がある。
『デザインは掃除だ』

混沌としたしたものをまとめ上げ、本当に必要なものを抽出する。
表現方法は様々だが、デザイナーの仕事は、大げさな言い方をすれば、真理の追求作業に他ならないのである。

円相 20代目柴田勘十郎画
円相 20代目柴田勘十郎画(出展ウィキペディア)

2015-05-01 | Posted in COLUMNComments Closed 

関連記事